この壺は満杯か?



財務省による「森友文書改ざん問題」が取り沙汰されています。


政治家がどちらを向いているのか、

官僚が何を守ろうとしているのか、

それぞれが本来の在り方を見失っているように感じます。


官僚も入省当初は、「国に仕える・国民に仕える」という高い志を持っていたはずです。しかし、いつしかその点を忘れ、大きなうねりに飲み込まれていったのでしょう。



翻ってわたし自身に当てはめてみると、


仕事において、何のために・何を成すために、自分は在り続けるのか。そのことを考えるきっかけとなりました。


一連の報道に思いを巡らす中で、あるエピソードを思い出しました。ここで紹介させてください。


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※以下、新潮文庫『会社がなぜ消滅したか』より引用



ある大学でこんな授業があったという。 


 「クイズの時間だ」 教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つを詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生たちに聞いた。


「この壺は満杯か?」 


 教室中の学生が「はい」と答えた。


「本当に?」 そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。その砂利を壺の中に流し込み、壺を揺すりながら、 岩と岩の間を砂利で埋めていく。


そしてもう一度聞いた。 「この壺は満杯か?」 


 学生たちは答えられない。


一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。 教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から、砂の入ったバケツを取り出した。 それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。


「この壺はこれでいっぱいになったか?」


学生たちは声を揃えて、「いや」と答えた。 


 教授は水差しを取り出し、壺の縁まで水をなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。


「僕が何を言いたいか、わかるだろうか?」


一人の学生がこう答えた。「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、さらに予定を詰め込むことができる、ということです」


これに対して、教授は 「それは違う」と答え、この寓話が暗示することを話す。



「この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後、二度とない、ということなんだ。


君たちの人生にとって『大きな岩』とは何だろう。それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり―――。ここでいう『大きな岩』とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。


もし君たちが小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。そして、大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう」


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ビジネス書『7つの習慣』の「第三の習慣」でも、近いことが書かれています。


ふだんの私たちは、自分にとって「重要でない(上図の下半分)」、目の前のことに追い立てられている。そのことで本来なすべき「重要なこと」がおろそかになっている。しかし、私たちにとって、本当に重要な活動は、「緊急ではないが重要な(上図の右上)」領域にあります。そして、この部分を認識しなければ、主体的に人生を動かしていくことなどできません。



まもなく新年度を迎えます。新たな気持ちで一歩を踏み出す皆さまの、ご参考になりましたら幸いです。




参考文献: 『会社がなぜ消滅したか』読売新聞社会部(2001/10/01)

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