十牛図


自分を訪ねて

禅宗において、求道する者の悟りの境涯を段階的に示したものが「十牛図」です。童子(修行者)が悟りに到る道筋を10枚の絵で表現しています。「本来の自己」をに喩え、童子がそれを探しに出かけるところから物語は始まります。十牛図を知ることは、実社会に生きる我々にとって、大きな気づきがあることでしょう。そもそも人は、なんのために生まれ、存在するのでしょうか。



見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

十牛図は、「見性成仏」という考え方をベースにしています。言葉の意味は次のとおり。禅では、この世界のすべては、本来、仏であるという真理に立っている。だから、どんな人にも仏性が備わっている。このことに気づき、だれもが仏であることを体感し、自覚する。これを「見性成仏」と言います。




十牛図《第一から第五まで》

一.尋牛(じんぎゅう)

童子が、いなくなった牛を探している。童子はそもそも持ち合わせている仏性(牛)が、自分のものであったことを忘れている。★喪失感と混乱と焦り、迷いの段階


二.見跡(けんせき)

童子が牛の足跡を見つける。★頭だけで理解したつもりになっている段階


三.見牛(けんぎゅう)

牛の後ろ姿を見つけた。本来の自己との出会い。★何かが見えはじめている段階


四.得牛(とくぎゅう)

悪戦苦闘の末、ようやく牛を捕まえた。二つの自己は、まだ相容れない。★力づくで真理を獲得しようとする段階


五.牧牛(ぼくぎゅう)

荒れ狂う牛に手綱をかけて家路につく。徐々に変化に対応してくる。★まだ悟りが不安定な段階




十牛図《第五から第十まで》


六.騎牛帰家(きぎゅうきか)

牛がようやく落ち着き、楽しい。牛と童子に一体感が芽生えはじめている。★悟りが定着しはじめている段階


七.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)

家に帰った童子は、牛のことも忘れて月を眺めている。真の自己(牛)と現在の自己(童子)が完全に一致した。一致したのだから、牛も存在しない。★悟りが「空」を顕した段階


八.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)

牛も我も世界もない。ただ「空」。区別するものが何もない。悟りの意識すらない。★自我を忘れて世界と一体になった段階


九.返本還源(へんぽんげんげん)

何もなかった世界がまた元のようになる。世界にはもう以前のような曇りはない。柳は風になびき、小鳥は歌い、川は滔々と流れる。そこに童子(自我)は見えない。★本来の清らかで美しい心が現れた段階


十.入鄽垂手(にってんすいしゅ)

童子も世界も姿を現す。しかし、万物はもとの万物ではなく、無心に美しく輝いている。腹(自己)をさらけ出して町へ行き、笑顔(慈悲)を振りまく。元の童子は牛と一体となり、全身から慈しみの香りを漂わす布袋の姿に。今度は、迷える童子に対して、手を差し伸べている。★凡夫の救済を実践する段階




螺旋階段をのぼる

悟りを得ても、そこに止まっていては無意味。ふたたび俗世間に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要があるのです。つまり、布袋とは他者救済を掲げる菩薩の態度です。


十牛図をたどることは、自分探しの螺旋階段をのぼるようなものです。迷いと気づきを繰り返し、永遠に掴めない星に手を伸ばすことが、生きるということかもしれません。そうやって自分が変われば、世界が変わります。世界とどう向き合うかを変えるだけで、世界はもっと美しく輝きはじめるのです。



参考文献:『現代語訳 十牛図』玄侑宗久(著)PHP研究所(2016/02/10)

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