にっぽんの仏像(弐)如来

中尊寺 - 阿弥陀如来像



仏教を理解する上で最も重要な存在で、仏像の中心が「如来」です。


如来とは「如(真如)」、つまり「真理の世界から来た者」という意味で、悟りを開いた者をさします。



如来像の特徴は、装飾を伴わない点にあります。つまり、ありとあらゆる欲望を完璧に克服していることを端的に表現しているのです。


まだ修行中の菩薩が、宝冠などで身体を美しく飾っているのに対して、その点が大きく違います。




三尊像

三尊像のセンターに座するのが、如来像です。左右の両脇侍が菩薩となります。

※「にっぽんの仏像(壱)菩薩」編を参照



如来

如来は、当初ガウタマ・シッダールタ(釈迦)その人のみを指す言葉でした。その後、大乗仏教の段階に進むと、人々の願いに応じて、さまざまな如来が登場することになります。


「大日如来」と「毘盧遮那如来」は概念がふわっとしており、やや苦戦するポイントです。ただ、定義が似ていることもあってか、呼び名の違いは単に宗派・教義の違いによるものだと考える向きもあります。つまり、この2つを同一視する見方もあるのですが、真偽のほどは定かではありません。


 1.釈迦如来

東京国立博物館 - 釈迦如来坐像


着ているものは、からだに巻きつけた一枚の布だけです。左手は膝の上に置き、右手は胸の前、両手とも手を広げています。左手は「願いを叶える」という意味で、右手は「こわがることはない」という意味になっています。仮に、街中であなたが仏像を見かけたとします。そのとき、その仏像がこの手の形をしていたならば、その仏像は「釈迦如来像」の可能性が極めて高いと判断できるわけです。



 2.大日如来

円成寺 - 大日如来坐像


大日如来は、「遍く光を照らす者」の意味を持ちます。密教における根本仏で、最高至上の絶対的存在です。宇宙の真理であり、世界の中心に大日如来がいます。釈迦のように人間時代から修行して如来になったわけではなく、はじめから世界の王です。菩薩のような宝飾を身につけているのも、本来の如来とは異なる立ち位置だからなのでしょう。すべての如来や菩薩を包括する、王者たる威風堂々たるお姿ァーーッ!!



 3.毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)

東大寺 - 盧遮那仏坐像


毘盧舎那如来は、法身仏(ほっしんぶつ)の代表的な存在です。法身仏とは、仏教の教えそのものを神格化した仏のことです。毘盧舎那とは太陽の意味であり、宇宙の中心から太陽のように照らし続けます。その光明は全宇宙をあまねく照らすと言われます。宇宙の無限の広がりと永遠の時間を象徴し、智慧とすべてのものに注がれる慈悲を体現しています。東大寺の大仏をはじめ、毘盧遮那如来は巨大な像が多いのも特徴です。



 4.阿弥陀如来

平等院鳳凰堂 - 阿弥陀如来坐像


阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主。「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」=「阿弥陀如来に帰依します」。人々の臨終の際に、極楽浄土よりお迎えに来るのが、来迎の阿弥陀如来と言われます。実は、仏教の最高仏は「阿弥陀如来」なのだそうです。なんでも、阿弥陀如来はあらゆる仏の先生であると。先ほど紹介した宇宙の真理たる「大日如来」も例外でなく、この「阿弥陀如来」のお力により悟りを開いたのだとか。


上写真の阿弥陀如来坐像を安置する京都の平等院鳳凰堂は、現世の浄土を思わせる絢爛豪華なしつらえです。末法の世への恐れと絶望からなんとか逃れそうとした、平安貴族たちの哀しみがうかがい知れます。ちなみに、有名な鎌倉の大仏は、この阿弥陀如来に分類されます。



 5.薬師如来

新薬師寺 - 薬師如来坐像


病を癒やしてくれる仏として、「お薬師さん」「◯◯薬師」と呼ばれ親しまれています。仏像においては、手に薬壺を持っておられます。ただし、奈良時代より前の薬師如来像は、手に薬壺を持っておらず、釈迦如来像との区別がつかない。仏像あるあるですね。


身体的な病を治すだけにとどまらず、心の病や怨念も救済するとみなされていました。特に、奈良~平安時代において、呪術を払う方策として、薬師如来を本尊とし奉ることが秘儀とされたのです。



 6.弥勒如来

興福寺 - 弥勒仏坐像


弥勒菩薩が如来としてこの世に現れたお姿です。弥勒菩薩は、釈迦に続く仏陀となる存在と言われます。




平等院鳳凰堂

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