人形町探訪(1)

人形町の名は昭和8年(1933)に命名された。


徳川家康が江戸へ入国した頃、この一帯はまだ東京湾の水面下にあった。家康によって大規模な埋め立てが行われたことで、この町は生まれたのだった。大阪や近江、堺、京都から来た商人や職人が移り住み、商業地として発展していく。その後、彼らのための芝居小屋も開かれ、みやげの人形を売る店がずらりと並ぶ光景が見られたそう。




水天宮

安産・子授けで名高い神社。久留米藩主が久留米水天宮を江戸上屋敷内に分社したのが始まり。水天宮御守りは陣痛が和らぐと言われ、安産祈願の定番商品。


戌の日に安産祈願するという日本の風習がある。お産の軽い犬にあやかっているのだそう。その戌の日とはひと月に2~3回ある。中でも大安と重なる日は特に安産祈願が増える傾向にあり、水天宮のような安産祈願の神社は非常に混雑する。

 御祭神:天御中主大神
住  所:東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1
アクセス:東京メトロ半蔵門線 水天宮前駅(5番出口)より徒歩1分/東京メトロ日比谷線 人形町駅(A1出口)より徒歩6分




小網神社


この神社の歴史は古く、鎮座して550年を迎える。ビルとビルの間に造られた小さなお社だが、ご利益はたしかにある。小網神社で有名なご利益といえば「厄除け」。東京大空襲の際、社殿を含む建物すべてが戦災を免れている。さらに、第二次世界大戦においては、小網神社のお守りを持って戦地に赴いた兵士全員が無事に帰還したという。そういった事例から、小網神社は強運・厄除けの神様として奉られているのだそう。

社務所では小網神社でしかお目にかかれない「まゆ玉みくじ」がある。本物のまゆ玉の中におみくじが入っている珍しい作り。蚕(かいこ)は、強い生命力を持つ生き物。その蚕が作り出すまゆ玉は、多産・生命力を象徴する縁起物なのだとか。なお、おみくじを抜いた後のまゆ玉は、お守りとしてすこぶる良し。




谷崎潤一郎生誕の地

谷崎潤一郎は、明治19年7月24日、この地にあった祖父経営の谷崎活版印刷所で生まれました。若くして文筆にすぐれ、東京帝国大学国文科を家庭の事情で中退したのち、『刺青』『少年』など耽美と背徳の世界を華麗に描いて、文芸界で名を成しました。 のち、日本的な伝統美に傾倒し、『蓼喰ふ虫』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』などを遺しています。その間、昭和12年、芸術院会員に推され、同24年には文化勲章を受章しました。




甘酒横丁


明治初期、横丁入り口の南側にあった甘酒屋が大変繁盛したことから、「甘酒横丁」と呼ばれます。「柳屋のたいやき」「玉英堂の虎家喜(とらやき)」「居酒屋の笹新」など、通りの右に左に目移りしちゃう。なんか横丁の雰囲気っぽく撮れなかった。。。無念!




玉ひで

創業は宝歴10年(1760)。お昼は親子丼、夜はしゃも鍋。親子丼の発祥の店として知られる、伝統を感じられる銘店。多くの老舗が軒を連ねる人形町界隈にあって、昼時の行列はひときわ目を引くものがある。


旧屋号は「玉鑯」。「玉鑯」から「玉秀」を経て「玉ひで」に至ったのか、もしくは「玉鑯」から「玉ひで」への変更も考えられるが、その時期と経緯については不明。




明治座

甘酒横丁を東に抜けてしばらく歩くと見えてくる大きな建物。明治6年に開場した喜昇座がその前身。関東大震災や東京大空襲で何度も焼失しているが、そのたびに再興している。この「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」とともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。ちなみに、フジテレビのミタパンこと三田友梨佳アナウンサーの父親は、明治座の社長です。




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