神話の原型(1)バナナ型神話


世界がどのようにして始まったか、人間がどのようにして生まれたか。このような世界の始まりを語る神話は世界各地で発見されている。例えば、『ギリシャ神話』『ギルガメシュ叙事詩』『旧約聖書』『日本神話』や各地の土着信仰など。奇妙なことに何万キロと離れた別々の地域で、酷似した神話が古代から諸民族内だけで語り継がれていた。まだ、航路は開かれておらず、大陸間の交流がない時代にも関わらず。その偶然の一致に迫るべく、代表的なプロトタイプを並べて見ていきたい。



神話の原型の一つとされるバナナ型神話。これは『金枝篇』を著したジェームズ・フレイザーによって命名された「死の起源神話」に紹介されたことで知られる。主に東南アジアやニューギニアなどの南方地域に流布することから、「バナナ」がモチーフとなっている。例えば、インドネシア・スラウェシ島のトラジャ族にこんな神話がある。



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人間の祖先が天の神に向かって食べ物を乞うたところ、天から「石」が差し出された。祖先は「こんな石をどうしたらよいのか?何か他のものをください!」と神に抗議した。神は石を引き上げて代わりにバナナをよこしてきた。祖先は走り寄ってバナナを食べた。すると天から声があった。


「永遠に変質しない「石」を選べば永遠の命を得られたが、お前たちは「バナナ」を選んだ。だから、お前たちの命はバナナの命になるだろう。バナナの木は子どもを持つと親木が死んでしまう。それと同じように、人間はもろく腐りやすい体になっていずれ死ぬ。もしお前たちが「石」を選んでいたら、お前たちの命は「石」のように不変であったろうに」

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こうして、人間は「バナナ」のように死すべき存在となった。世界各地でバナナ型神話は確認することができる。いずれも共通する点は、人間は選択可能な2つのものを差し出されたとき「美しいもの・美味なもの・儚いもの」を選び、結果的に「死」を与えられてしまうということ。また、旧約聖書の創世記に登場する「禁断の果実」を食べてしまい、エデンの園を追放されるエピソードもバナナ型神話の変形とされる。



木花咲耶姫と石長姫


日本神話においても死の起源神話が存在する。『古事記』によれば、天孫降臨で日本の地に降りてきた邇邇藝命(ニニギノミコト)木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を妻に選んだ罪によって、子孫は永遠の命を断念させられることになったという。以下がそのあらすじ。



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天照大御神の孫であるニニギノミコトは笠沙の岬で出会った美しい娘、コノハナサクヤヒメに一目惚れする。早速、彼女の父親・大山祇神(オオヤマツミノカミ)に「あなたの娘を嫁にもらいたい」と申し出た。


この求婚を大変喜んだ娘の父オオヤマツミノカミは、もう一人の娘・石長姫(イワナガヒメ)も一緒に嫁がせることにした。醜い姿ながら永遠の命を持つ姉イワナガヒメと美しい姿ながら儚い命の妹コノハナサクヤヒメ。


ところがニニギノミコトは容姿の美しいコノハナサクヤヒメだけを嫁として受け入れ、醜いイワナガヒメを送り返してしまった。オオヤマツミノカミはこの浅はかな判断を嘆いた。「イワナガヒメを娶れば子孫は岩のように長命となり、コノハナサクヤヒメを娶れば子孫は美しく生まれる。このふたりを共に妻とすれば、子々孫々長く美しい命で栄えることができたというのに。これから人間は、花のように美しく生まれるが、短い命でその美しさもやがて衰えることになるでしょう」。こうして人間の寿命は限りあるものとなり、またその欲望ゆえに滅びゆく運命も背負った。

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コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)は、その名から桜の精とされる。木花咲耶姫を御祭神とする富士山本宮浅間大社では、桜樹が御神木となっている。境内にはおよそ500本の桜が立ち並び、春には満開に咲き乱れる。


画像:富士山本宮浅間大社HP

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