上野山内月のまつ|歌川広重|名所江戸百景|

錦絵 安政4年(1857)8月 国立国会図書館

「上野山内月のまつ ウエノサンナイツキノマツ」



くるりと円を描いて曲がる奇妙な松。これは上野にあった「月の松」という名木です。この松の形が満月を連想させることから、その名が付けられたという。The 粋。


月の松は弁天堂に降りる石段の近く、不忍池端に生えていました。ところが、明治の初め頃の台風で折れてしまい、永らく失われていたのです。

その後、「浮世絵に描かれた江戸の風景を復活させよう」という機運の高まりもあって、平成24年(2012)上野公園内にある「寛永寺 清水観音堂」に復元されました。このニュースは、上野経済新聞(2013年01月09日)にも掲載されています。


東叡山寛永寺の清水観音堂内に「月の松」はあります。清水観音堂は、寛永8年(1631)に慈眼大師天海大僧正により建立されました。現在も上野にある有名なあの寛永寺です。


この天海大僧正は、陰陽道や風水に基づいた江戸の都市計画を構想した人物です。徳川家康公から3代の顧問をしていた天海大僧正は、江戸の都市計画にも携わっていました。


そこで、寛永2年(1625)に江戸城の鬼門(北東=艮ウシトラ:丑と寅の間)を守護するため、寛永寺を創建。寛永寺を東叡山寛永寺と称したのです。実は、名前を東叡山としたのには深い理由があります。


比叡山延暦寺は、京都御所の鬼門の方位を守護しています。そこで、西の比叡山延暦寺になぞらえて、上野の山を東の比叡山=東叡山と見立てて、寛永寺を東叡山寛永寺と称したのでした。そして、天海大僧正は自ら寛永寺の住職を務めます。


ちなみに、江戸の裏鬼門(南西)には芝の増上寺が建っています。鬼門と裏鬼門を抑えることで邪気の流れを封じました。江戸の鎮護を徹底したわけですね。



歌川広重 Utagawa Hiroshige: 寛政9(1797)― 安政5(1858)江戸後期の浮世絵師。1818年頃から作品を発表。《名所江戸百景》《東海道五十三次》などをはじめ、江戸名所、諸国風景等の作品を残した。

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